2013年3月5日火曜日

老後を考えるようになりました

老後のことなんて…考えたことはなかった。
少なくとも、数年前までは…。
仕事に没頭していた25年間は、目の前のことで精一杯だった。
身体をこわし、実家に帰り、親と話す機会が増えた。
そこで初めて、先のことを具体的に考えるようになったのだ。

親が保険業を長く勤めたことから、私は5つもの保険に入っている。
給料が減り、支払いが苦しくなり、解約したいと何度訴えても、
母親は頑として、やめさせてくれなかった。
お金というものは、あればあるだけ使ってしまうもの、
強制的に貯めるものしか残らない。
というのが母の持論なのだ。

今、その言葉の正しさが身にしみる。
お給料がどんどん下がっているのに、お金の使い方を気にしなかったため、
いつか、私の通帳には残高が無くなってしまったのだ。
貯金と呼べるのは、唯一、生保に払い続けたものだけなのだ。
退職金が出ない業種であることを知ったのも、つい最近。
本当に、世間を知らずにきてしまった。
折しも、年金の受け取り額を示した通知が届いた。
もし、生保から降りる年金がなかったら…。

一年前から家計簿なるものをつけ始めた。
そして、いかに、切り詰めた生活をしなくてはいけないかを初めて知った。
本当に、この歳になって…遅過ぎだよね。

もう一つ。
多くの人との縁を深めていくこと。
これも老後の人生設計の重要課題だと思う。
意外とお金より、大切なことかもしれない。



2013年3月2日土曜日

フェイスブックって怖くない?

先日、お気に入りのパスタ屋さんに、フェイスブックを勧められた。
フェイスブックという名前から、顔を出すイメージがあったので、
引っ込み思案の私は、これまでやってみようと思ったことはなかった。

いざ、登録してみて驚いた!!
顔どころか、実名と住まい、年齢などの情報があふれている。
個人情報、個人情報って、あんなに騒いでいる世間をよそ目に、
まるで安心しきっているかのように、自分の私生活まで公開しているのだ。

私のスマホには、友人のみならず、知人の類いの人もたくさん入っている。
そんな遠い知り合いの、その知り合いの、そのまた知り合いが、
「知り合いかも?」という名目で、閲覧できるようになっている。

おそらく、私には、知られたくないと思っている人もいるに違いない。
今、こうして見られていることを、きっと知らないに違いない。

人の日記を盗みみたような、なんとも言えない罪悪感にさいなまれた。
盗み見たことはないけれど、きっとこんな気持ちなのではないかな。
悪いことをしたわけではないのに、どうしてこんなに嫌な気持ちになるのだろう。

フェイスブックは、きっと、子供のように、
私生活全てを共有する間柄で楽しむにはいいものなのだと思う。
そんな生活ができるのは、せいぜい学生までだろう。
人との関係にはほどよい距離があったほうが、快適なのだと知るようになると、
このつながりは密すぎる。

その意味で、フェイスブックを楽しめる人って、うらやましいなとも思う。
無邪気とはいえない、私の性分には合わないなあ。
寂しいけれど、やめてしまおう。
私が参加したことを、誰にも知られないうちに、早く姿を消してしまおう。

ああ、驚いた!!
怖かった!!


2013年2月28日木曜日

夢か無謀か…

今年、夢に向かって計画を立てた。
この歳になって…とも思うが、人生の半分を生きてこその行動なのだ。

十年後に、ヴァイオリンで、本格的なクラシックを演奏する。

きっかけは、3年半、レッスンを受けた先生が産休に入られたこと。
ネットで見つけた教材が、私の心を捉えた。
本気でうまくなりたいなら、基礎練習を積み重ねるしかない。
基礎さえ体得すれば、どんな曲でも弾ける。
退屈な練習を、どこまで継続できるかにかかっている。
とあった。

自分に才能があるとは思わない。
しかし、練習だけはどんな退屈なものでも続けられる自信はあった。
一日30分の練習で、どこまでできるかは分からない。
しかし、始めないことには絶対にかなわない。

基礎練習に専念したいと、新しい先生に訴えてみた。
先生はびっくりしていたが、駄目とは言わなかった。
クリアすべき教本が具体的に見えてきたので、自分で計画を立ててみた。
少し無理はあるかもしれないが、希望も込めて、十年…とした。

過ぎた3年半を思えば、そんなに長いとは思わない。
実際に練習を始めてみると、これが楽しい。
曲を弾いているときは、同じところでつかえて一向に改善しなかった。
基礎練習だと、同じことを繰り返していると、段々と弾けるようになるのだ。
この、目に見える成果がうれしくて仕方ない。
単調な練習でも、続けられるゆえんである。

十年後は、人生の終盤にさしかかるころ。
定年まであと数年という時期である。
クラシックが弾けたから、それで暮らせるとは、これも思わない。
それでも何か、別の世界が広がるのではないか、
それが私の人生を、より豊かにしてくれるのではないか、
と夢見るのである。

86歳になる母は、そんな私の夢を唯一、応援してくれる存在だ。
めでたい親子だなとも思う。
母は、毎日、ハーモニカとウクレレを熱心に練習している。
そんなところが母に似たのかな。
少しバカでないと、夢って見られないのかもしれないね。








2013年2月8日金曜日

似合う服がない!!

ビミョーなお年頃のせいなのか、生まれつきのものなのか、
どーにもこーにも似合う服がなくて困っている。

「やっと自分に合うお店(またはブランド)を見つけた!!」
と思ったことは、3回ほどあるのだが、どうも勘違いだったようで…。
お店ではあんなに似合ったはずなのに、
家で着てみると、買ったことを後悔するほど似合わない。

今さらではあるが、友人に勧められ、女性らしい服を着る気になった。
うん十年ぶりに、スカートなるものを何着も購入したが、
腰が張っている体型のせいもあり、どれも不格好。
なんだか男性がスカートをはいているみたい。
こっけいに見えてしまうのだ。

どうも「変わった」服が合うようね…と、友人も方針転換。
しかし、誰も買わないような服は、そうめったには見つからない。

私より一回り以上も若いその友人は、何を着てもよく似合う。
まるで、服のほうから、「着てください」と言っているよう。
パッと当てるだけで、あたりが花が咲いたように様に明るくなる。
どれにしようか、これもいいけど、あれもいい…ああ迷っちゃうって、
そんなこと、一度でいいから言ってみたいわあ。

私はというと、当てても当ててもピンとこない。
これまでオシャレをしてこなかったせい…だけではないわね、これは。
背丈も太さもふつうなんだけどな。何かが足りないのよね、きっと。

今日も友人はステキなスカートをゲット!!
私の服は見つからず…。

こんな私の服を、それでもあきらめないで探し続けてくれる友人に、
今日もカフェをおごる私なのでした。





2013年2月7日木曜日

ロシア文学が好き

時々、無性に本が読みたくなる。
多読ではないが、寡読でもないほうだ。
時代の人物を描いた、歴史ものが多いかな。
今は、レ・ミゼラブルに挑戦しようかなと、図書館に予約中。
貸し出し期間の2週間で読むのはキツいけど、
以前から、読んでおかなくてはと、ずっと気になっている一作なのだ。
通勤時間の40分を使って、一気に読んでしまおうともくろんでいる。

ところで、「好き」という点では、古いロシア文学が一番だ。
私は何に惹かれているのか、理由がよく分からない。
なにしろ、主人公ときたら、たいていは、どちらかというと、
冴えない、みじめな生活を送っている人物が多いのだ。
ロシアの寒〜い冬が舞台である。
重くて堅い生地のコート(もしくはオーバー)を着て、
鼻の頭を真っ赤にして、ときには眉毛に霜が付く。
大雪の日はブーツの中も濡れちゃったりなんかして…。

食事はあまり味がなさそうな堅いパンに、
具の少ない、塩味だけのスープ。
それに、噛み切れないようなお肉や、パサパサの魚類。

仕事場では理不尽な扱いを受け、
何かあるたび、この世に終わりのように大げさに嘆く。
これといった友人もなく、楽しみもない。
石のようなベッドにこごえた身体を横たえて、短い眠りについたりする。

こんなつまらない日常が、声に出さない心の中のつぶやきを中心に、
綴られていく。
そのつぶやきも、たいていが、思い込みの強い、偏ったものだったりする。

こんな小説の、何が私の心を捉えるのだろう?
なにゆえに、ことさらの愛着を憶えるのだろう?

認めたくはないけれど、
実はそこに、等身大の自分を見ているのかもしれないね。






2013年2月5日火曜日

トラのバターが食べたいな

仕事のペースを落としました。
過労で倒れてからというもの、体調がすぐれず、
勤務日数を減らすという一大決心をしました。
お給料はずいぶん減ったけれど、目に見えて元気になってきています。

休みの日が増えた分、出かける機会も増えました。
美容院で爆睡することもなくなり、雑誌を手に取るようになりました。
読むのはたいてい、ランチかスイーツのお店特集!!
スマホで撮りまくっては、友人とみつくろって出かけます。

ところで、「トラが木の周りをぐるぐる回ってバターになる」という、
絵本を知っていますか?
そのバターが忘れられずに、お店を出してしまった方がいるそうなのです。
私、絶対に行きますわ!!
そう、あのバターはおいしいに決まっています!
なんせ、トラのバターなのですから…。
とろーりととろけたあのバターの色…思い出しただけでも…。
あのバターで焼いたパンケーキをイメージして作ったお店だとか…。

トラはバターにならないということは、
子供心にも理解していたように思います。
それだけに、トラのバターで焼いたケーキは、
特別な味として、心に刻まれていたようにも思います。
そんなステキな空想を、現実のものにしようとするなんて!
すばらしい思いつきに、感動すらおぼえます。

早く食べてみたいけど、急がなくてもいいかなあ…。
楽しみを長く味わっていたいから!



2013年2月4日月曜日

がんばれ 園田監督!!

写真がその人の真実を映し出していると感じることがある。
悠仁さまがお産まれになったときの写真がそうだった。
紀子さまの腕の中で微笑んだ表情に、
一瞬にして心を奪われた人も多いのではないだろうか。
伊勢神宮に参られた最近の写真にも、
人々の上に立つ品格のようなものがにじみ出ていると感じたのは、
私だけだろうか?

園田監督…いや、元監督と言わなくてはいけないけれど、
謝罪会見の苦渋に満ちた表情には、
真摯な反省心と、真剣な悲しみがたたえられている…と私は思った。
写真は、たった一枚で、文字にはできない真実を伝える力がある。
報道を目にしたときは、指導者としてふさわしくない人なのかと思った。
しかし、その写真を見て、違うかもしれない…と思った。

すると、彼をかばうかのような記事がいくつも目についた。
最初に注意を受けたときに、猛省し、
選手が声を上げる窓口を園田元監督自らが立ち上げたこと。
指導者としての研修会に日参するほど勤勉であること。
とがった言葉は、女子特有のもたれかかりを自立へと向けるため
だったのではないかということ。など。

アマチュアの監督というのは、柔道のみならず、
分が悪いと言われているとか。
そんな、損な仕事に情熱を傾けていたのは事実のようだ。

誰にでも過ちはある。
同時に、過ちにも一分の理があることも、
誰もが身に覚えのあることではないだろうか。

園田元監督につぶれてほしくない。
自分を全否定など、決してしてはいけない。
人の心の難しさを知ることで、世をはかなむのではなく、
困難なこの時代を正しく生き抜く力を蓄えて、
もう一度、真の「指導者」としてよみがえった姿を、
私たちの前に見せてほしい。